ポケったりなんかしたり

ポケモンのweb漫画描いてます。(左のメニューからどうぞ)あとは対戦実況したり、アニメの感想書いたりイラスト描いたりしてます。

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劇場版ポケットモンスター キミにきめた!の感想です。

初日の朝イチで見てきました。

ただ、内容が濃すぎるが故に1回だとちょっと混乱してしまう、
できれば2回は見た方がいいような気がします。

正直な意見を申し上げますと多分この映画は評価が割れます。

ただ、自分はすごく楽しめました。

見てない人も、もう見ちゃったよって人も
もし時間があるのなら、ぜひこちらを見てほしい、その上で映画を見るときっと見方が変わると思います。
首藤剛志さんのコラム第143回 『ポケモン』第1、2話放映




あ、ふつうにネタバレします。

キミにきめた!レビュー・考察です。


・はじめに

いくつか評価が割れる要素があるとは思うんですが、1つ目に
全体的な印象としてはパラレルワールドを受け入れられるか否かで印象が変わります。
もちろん映画ではあのサトシ達が今のサトシ達かとか、そんなことは言ってません。
ソウジやマコトを見て「誰だこいつら知らねえ」って誰もが思うでしょうし
自分の知ってる記憶とは違うけれどもこういう世界があるのかもしれないという目で見たら
印象は変わるかもしれません。
純粋な無印アニメポケットモンスターを期待するとこの映画は楽しめないと思います。
改変がどうとかではなく、「これはそういう映画なんだ」とあらかじめ準備をしておく必要があるわけです。
そういう意味でまず評価が割れるだろうなあと思いました。



・アニメポケットモンスター1話について

今は亡き首藤剛志さんの脚本を元に再現されていました。
しかし、過去改変(といういい方はよくないですね、オリジナルストーリーという言い方にします)
されているといっても、やはり基となっているのは無印版のポケモン。
メインストーリーになぞらえた部分が随所に確認でき、無印信者の自分としては楽しめる内容でした。

まず冒頭のポケモンリーグの試合
ゲンガーVSニドリーノなんですが映画ではミュウツーの逆襲に出ていた
スイートのカメックス(クスクス)vsソラオのゲンガー・フシギバナ(バナード)でした。
声はなかったけど何の技を出しているのかナレーションで伝え、
止まることなく動く白熱のバトルシーンは熱かったです。
そしてそれを見てテンション上がるサトシ。
10歳の少年らしくテレビに夢中になって手を振り全身使ってそこだぁ!とか言ってるのもよかった。かわいい。

オニスズメに石をぶつけた後群れがわっと出てくるシーンは
迫力がありすぎてトラウマになるレベルですね。
映画だからこそできる演出です。


人間のポケモンだから狙われるピカチュウ、
オニスズメの大群に襲われて傷つき、弱って虫の息になってしまう…

ポケモンマスターを夢見たサトシが、ポケモンをもらって実際に経験したのは
言うことの聞かないポケモンと、今目の前に横たわっている「自分のポケモン」
まだもらったばかりなのに、出会って数時間しか経っていないのに
弱っていて、虫の息で、目の前にはオニスズメの大群、下手したら死も免れない、絶望的な状況であるわけです。
全部自分の撒いた種であるわけですが、10歳の少年にとっては重過ぎる試練です。
こんなはずじゃなかった、それが本音でしょう。


でも、それでもいつか夢見たポケモンマスターへの道、そして自分の想い、自分に言い聞かせるように叫ぶ

「お前らオレを誰だと思っているんだ!

オレはマサラタウンのサトシ!

オレは世界一のポケモンマスターになるんだ!

お前らなんかに負けない、みんなまとめてゲットしてやる!」



ピカチュウが狙われているのだからピカチュウを捨てて自分だけ逃げれば間違いなくサトシは助かるはずです。
でも身を挺してポケモンを守った。
それはサトシが自分が逃げたらどうなるか、とか、ポケモンを守るのがトレーナーの役目だからとか、
おそらくそんなことは考えていないでしょう。
がむしゃらに行動しているうちに、ついうっかり、身体がそう動いてしまった、ただそれだけなのだと思います。
ピカチュウをボールに入れて身を挺したところでおそらく何も考えちゃあいない。

虫の息だったピカチュウも力を振り絞ってオニスズメを追い払います。
サトシを見て心を動かされたとか、そうしなければならなかったとか、そう思ったからではないと思います。
きっとピカチュウもピカチュウで、身体がそう動いてしまったからなんじゃないかと思います。

二人ともがむしゃらに何も考えずに動いた結果、
オニスズメを追い払い窮地を脱することはできた。
お互い何も考えなかったからこそ、共通意識のようなものが芽生えたんじゃないかなと思います。


横たわるサトシとピカチュウ。
サトシはピカチュウを抱き寄せる。
ピカチュウはそんなサトシの顔を舐める。
初めて自分から触れてきたピカチュウに、震える声で尋ねる。

「オレで…いいのか…?」

「ピッカチュウ」

ポケモンマスターを夢みたサトシだが、自分の未熟さ故に危険な目に晒してしまった。
初日は遅刻するし、ピカチュウは言うこと聞かないし、ポケモン捕まえられないし、死にかけるし、
人生長いんだ、そんなこともあるさなんて考えられるほど
精神的に余裕のある年齢でもないし、
未熟で無知故に一度の失敗が自分を追い詰めて自信がなくなってしまっても仕方ないと思います。
だからサトシも、自分のポケモンとはいえピカチュウに「オレでいいのか?」と聞いたんだと思います。
(本来の1話にはサトシがピカチュウに「オレでいいのか?」なんて自分を選んでもらうようなセリフはないです)
(本当は「オレ…だね…」って言うんですが、これは小説版を見てくれとしかいいようがないんですが
オレはオレで、ピカチュウはピカチュウだね、という意味で言おうとして結局言葉にならなくてそうなった)

それに対して頷くピカチュウ。それはポケモンと人間がわかりあえたとかそういうのじゃなくて、
単に同じ試練を乗り越えたっていう共通意識がそうさせたんじゃないでしょうか。
(でもここで疑問が浮かび上がるんですがピカチュウの項目で説明します)

そんな2人の目の前に現れるホウオウと虹色の羽

「いつか一緒にあいつに会いに行こうぜ」

サトシとピカチュウの間である約束が結ばれる、それがホウオウに会うということだった…

カットされているシーンはありましたが、総編集としては妥当なところ、上手くまとまってると思いました。

全体的なまとまりはよかったんですが、「オレでいいのか?」というセリフに問題を感じました。
というのも、前提が狂ってしまっているなと感じたんです。
でも、サトシがここでこのセリフを言うことによって後々に
「最初のポケモンがゼニガメかヒトカゲかフシギダネだったらよかったんだけどな」
ってセリフを出すための伏線だとしたら仕方ないのかなと思います。
なんでそう思ったのかはピカチュウの項目で説明します。


・なんかいろいろ

ゼニガメをもらったのがシゲルで、

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フシギダネをもらったのがツバキ(さよならコダック! またきてゴルダック?)
っぽいなあと思ったんですが、ヒトカゲもらったトレーナーだけマジでわからない…
ティエルノの生き別れた弟説を推していく。
わかった人はコメントで教えてね。

ゼニガメじょうろで水浴びしてるナゾノクサがかわいかったです。(推しポケ)

プロモーションで使われていた映像が大体ここからだったのですが冒頭10分くらいでおわったので
「え?プロモーションでやってたとこ大体回収しおわったけど何やるんだ…?大丈夫か…?」
と思って焦りました。


・キャタピーについて

バイバイバタフリーという無印屈指の名作を取り入れたかったんだと思います。
ファンサービスの意図が強く、初代からのファンとしては嬉しいサプライズでした。
OPで月を見上げるシーン、あのシーンすごく好きだったので入ってて嬉しかったです。
カスミがいない世界だから、サトシとピカチュウとキャタピーの3人で
月を見上げるようなこともあるのかもしれないなと思いました。
あの映画じゃないとできない映像が見られたので純粋に嬉しかったです。
ただ、駆け足だったので余韻に浸る前にライコウが出てきたので
「さすがにもうちょっと待ってくれ」って思いました。



・エンテイ、スイクン、ライコウについて

ホウオウの話をやるということでピックアップされた3匹
ホウオウと3犬の関係は「ポケモンジェネレーションズ エピソード6「再生」」を見ればわかるでしょう

ただ、扱いそのものは結構雑だったような気がします。
(かといってたくさん活躍されてもちょっと困るので控えめな活躍でちょうどよかったと思います)

でもライコウはもうちょっと出番待っててほしかった。


・イワークについて

お前ほんとはA種族値ポッポと同じじゃないだろ


・マコトについて

崖を滑り降りるところやイワークに乗るところ、イワークから降りるところなどを見て
うーんマサラ人並みに人間やめてるなあと思いました。
アニポケのそういうところ好きです。

ハナコと言い合ってるサトシを見ているためエンテイのときも
サトシに「ママに報告しなくていいの?」とおちょくるところは
自分が親と連絡してないからこそちょっと羨ましくてそういう嫌味を言っちゃったんだなと
思うと子どもらしさがあって好きです。
スマホ?に写真を入れて眺めてニコニコ笑うシーンも
本当は親に見せて「こんなことしたんだ」って報告したかったんじゃないかなと思うと切なかったです。


・ソウジについて

ポケモン博士を目指している、ホウオウ伝説について調べている…など
言ってしまえば物語を作る上で「都合のいいキャラ」です。
映画を作る上では欠かせないキャラだったのではないでしょうか。
ただ、レントラーのエピソードに関してはキャラを立たせるためな気がしてしまいました。
しかし、レントラーを失ってしまったことでポケモンと関わることがトラウマになってしまったと言う反面、
連れているポケモンはルカリオなため、
(ルカリオはリオルから懐きMAXで進化するので、
手持ちにルカリオがいるだけで絆の強さを主張できるポケモンな気がします)
彼とルカリオ(リオル)の間で何かドラマがあったのだろうと示唆することができます。
個人的にはレントラーのエピソードに加えてリオルとの出会いとかをもうちょっと
一言でいいから触れてほしかったです。


・ヒトカゲについて

サトシのリザードンという懐かしい要素その2というような印象でした。
しかし扱いはシンジのヒコザルです。
一度は敗北するものの、リベンジ戦で進化するところ、
クロスを身を挺して守るところはリザードンの性格が出ていていいなと思いました。
サトシのリザードは言うことを聞かないからあれはサトシのリザードじゃない!っていうのは
ちょっと違うと思います。
そういう世界のそういうヒトカゲがいる、似ているかもしれないけど別の世界のサトシの
別のヒトカゲだからだと思うと心穏やかに映画を楽しめるのではないでしょうか。


・クロスについて

まず、わたしはクロスを悪者扱いしてほしくなかったというのが本音です。
というのも自分自身がゲームやってるので孵化余り捨てたり流したりしてるっていうのもありますし
わたしも過去に大事な局面で何度もオーバーヒートを外すウルガモスに嫌気がさして
(虫統一で重いカバルドンを吹っ飛ばすためという大事な役目を持たせたポケモンだったし
適当な個体じゃなくてちゃんと5V理想個体で厳選して努力値振ったちゃんとしたウルガモスだったんですけど)
逃がした経験があります。
別にウルガモスが嫌いになったとかポケモンが嫌いだからとかではないんです、本当に…

ソウジの言う通り、クロスは強さという信念をもってポケモンを連れて旅をしているわけです。
クロスは確かにヒトカゲを見捨てたという点では倫理的な問題があります。
でも、ポケモンは手持ちに限度があり、強さという信念があるクロスにとって
ヒトカゲは邪魔でしかないわけです。
それに対してマコトが「それをサポートするのがトレーナーの役目でしょ!」というのですが
それは意見の押し付けであり、全く反論になっていません。
サトシも「あんな奴に負けるわけにはいかない」とか「あんな奴が勝つなんておかしい」というわけですが
クロスは強さに信念をもっているわけですから勝つのがおかしい、なんてことはありえないのです。
勝つべくして勝ったんです。
実力主義なんて言葉をアニポケの世界では言いたくないんですが、
でもそれだけでクロスを悪役にはしてほしくなかった。
現に、負けたサトシに対し
「負けた屈辱をポケモンに味わわせた、お前はトレーナー失格だ」
と厳しく批判しているところからも、ポケモンをただの戦闘の道具だとは思っておらず
自分の信念を貫き、かつそれに付いてこられる自分のポケモンを育てる、というトレーナーとしての責任を感じました。
言うならばコーチと選手のような関係です。

クロスはヒトカゲを捨て、下手したら死ぬというところまで見殺しにしたというところから批判を浴びがちですが
彼なりに信念を持っていたのだとすると一概に批判できません。
特に自然界は弱肉強食の世界ですから、
捨てられて死んだのならそれはそれで仕方のない、生きるのに向いてなかったんだろうと
考えてしまうのでしょう、間違っていないと思います。ただやり方はよくなかった。

また、ホウオウを見たというところから
クロスはクロスなりにポケモンと関わっていく上で何か強い意志のようなものがあり
それをホウオウも感じ取って姿を現したのでしょう。何度も言いますがクロスは悪ではないです。
しかし、虹色の羽はもらうことができなかった。
この差がサトシに対してのコンプレックスとなり、つい彼に虹色の羽を奪わせることになってしまった。
ホウオウと性格が合わなかった、もはやこれは仕方のないことだと思うんですが
彼は彼なりにポケモンに一生懸命だったからこそ悔しくてサトシの後をつけていたんだと思います。
そう思うととても人間らしくて好感の持てるキャラクターであるなと思いました。
結局彼が羽をもつと黒くなってしまうんですが、それは彼自身が悪だからではなく
つい悔しさから倫理的にやってはいけないこと(他人の持ち物を勝手に奪う)といったことが
反応して黒くなったんだと思います。

尺の関係から手のひら返すの早くねーかとか思ったんですけど
もう少し彼の心理描写を入れてくれたらもっと好感の持てるキャラになれていたのではないでしょうか。


・ロケット団について

ロケット団は本来サトシのピカチュウが特別なピカチュウだと思っているから付け狙っているので
その描写がない限りサトシ達に関わらないのは仕方がないと思います。
だから反応するのはエンテイとかホウオウの話であってサトシ達ではないわけです。
だからこそ空気のような扱いなんですがこれはもう仕方がないと思いました。
キャラクターとしてはブレておらず、ちょうどいい出番だったと思います。


・ボンジイについて

レッドのような帽子をかぶっているので何か関係があるのかと思ったら全くそんなことはなかった。
でも、「少年たちよ、突き進むのじゃ」みたいなかんじで一歩引いた目でサトシ達を見守っているところから
もうポケモンを引退してしまった、大人になってしまった、
そんな当時ポケモンに夢中だった世代に向けた等身大のキャラクターだったのかなあと思うことにします。


・マーシャドーについて

いくら何でも空気すぎる、
でも影に潜んで首藤さんの最終話構想をやるのだったら適任のキャラはいないでしょう。
そういう意味ではもったいない扱いでした。マーシャドーを出すのはよかったんですが扱いが悪かった。

一番気に食わないのが
「マーシャドーはあくまで見守るつもりじゃ」
って言ってクロスとサトシのバトルを見ていたのにクロスに羽を奪われ、
黒くなった羽を使って攻撃してくるところは
「いやお前今までなにを見ていたんだ」
という気持ちになってしまいました。一部始終を見ていたんじゃないのかお前…

ポケモンは人間ではないですし、どちらかというとホウオウのような神に近いようなポケモンであるため
人間の小競り合いなど目に入っていないのかもしれないし
そもそも人間の考えてることには関与しない、事実のみに反応するというようなものなのかもしれません。
しかし、あれだと完全にマーシャドーが悪役(のように見えてしまう)で
影からの使いとは……となってしまいます。

影からの使いというのは、自分の中では
精神面に入り込み、そこから人間を正していく、というものだと認識してたんですが
まさか物理的に壊してくるとは思わなかったです。
ゴースト(精神面)・格闘(物理面)ということだからでしょうか……マーシャドー、スパルタだなあ……

映画のポケモンでは珍しく活躍しないポケモンだなあと思いました。
それどころか、こいつ一体何がしたかったんだ感が強く、
評価が割れる原因の1つであると思います。

あと山ちゃんこれどこから声出してんだとか思ったんですけど、本当に不思議な声だと思いました。





・灰色の背景、小学校の話(最終話構想)






映画の情報が1話のリメイクだと公開されたときに真っ先に考えていたことが実現されたので不意打ちを食らいました。
没原稿といわれているものです。



 おそらくサトシにとって、『ポケモン』の空想の冒険世界に旅立ったのは、少年期のほんの一瞬なのかもしれない。
 子供が最も冒険心に満ち溢れていた一瞬だ。
 その世界では、ロケット団以外の大人も、子供から見た大人しか出てこない。
 登場する大人は、協力者か、ロケット団以外の悪役は類型的な子どもの考える悪役である。
 子供が憧れるような大人は、ほとんど出てこない。
 アニメ世界の警官はいつでもジュンサーという名前で登場するし、
 ポケモンセンターの女医はジョーイという名前でしか登場しない。
 この人たちは登場するたびに、その土地土地で違う人間のはずなのだが、名前も変わらず年齢も違わない。
 様々な人がアニメに登場するが、誰も歳を取らない。
 ただし、ポケモンだけが進化という名で成長していく。
 『ポケモン』の世界では、ポケモンだけ時間が経っていくのである。
 アニメ版『ポケモン』の視聴者は、歳を取る。
 しかし、アニメ版『ポケモン』の世界は歳を取らない。
 つまり僕は、『ポケモン』の世界を、サトシ(ひいては視聴者)の少年時代へのノスタルジーにしたかったのである。
 『ポケモン』の世界には、ポケモンしか出てこない。
 サトシの中の空想の『ポケモン』世界なのだから、当然である。
 ポケモンは、想像されたものであり、実物の動物ではない。
 ゲームの操作のやり方次第で、プレーヤーの思いどおりになる。
 手間はかかるが、プレーヤーに逆らったり、実際に死んでしまうこともない。
 失敗してもリセットが可能である。
 そして、事と次第によっては友達になってくれる。
 動物のペットでも、まして人間でも、現代の子供たちの間ではこうはいかないだろう。
 ポケモンが生き物だとしたら、これほど思いどおりになる生き物はない。
 子供にとっても、いや、大人にとっても『ポケモン』は理想的な生き物だと言える。

引用:首藤剛志 第143回 『ポケモン』第1、2話放映

年月がたち、老人になったサトシは、ふと、昔を思い出す。
 それは美化された少年時代の思い出。空想……、想像の生き物ポケモンたちとの冒険。友情。共存。
 それは、現実の人間の世界で、サトシが出会えなかったものだっかもしれない。
 しかし、少年時代のどこかに、確かにピカチュウやポケモンがいて、ムサシがいてコジロウがいてミュウツーがいて……
 それだけではない、サトシの少年時代の冒険で出会ったすべてが、老人になったサトシの目には見える。
 サトシの耳にサトシの母親の声が聞こえる。
 「さあ、早く寝なさい。あしたは旅立ちの日でしょう」
 翌朝、母親に叩き起こされたサトシの姿は少年に戻っていて、元気に家を飛び出していく。
 それは「ポケモン、ゲットの旅ではなく、ポケモンマスターになる旅でもなく、自分とは何かを」探し、他者との共存を目指す旅だ。

引用:首藤剛志 第184回 『ミュウツーの逆襲』のその先へ

まさか本当に使われるとは思いませんでした。
ポケモンが好きな人で誰しもが一度は考えたことがあるんじゃないでしょうか?

もしこの世界に本当にポケモンがいたとしたら

わたしも何度も考えたことがあります。今でも考えます。
でも実際にポケモンは存在しないし、それどころか自分は大人になってしまう
10歳で旅に出てポケモンと共に歩む世界なんてないんです。

 『ポケモン』の世界は、子供の夢見る冒険の世界である。
 でも、いつか大人になり、子供の夢見る虚構の世界から卒業する。
 だが、その時広がる大人の世界を、子供たちに殺伐とした目で見てほしくなかった。
 妙な悟りで受け入れてほしくもなかった。
 かといって、虚構の世界で夢に酔いしれている、外見だけは大人で心はいつまでも子供、という人間を育てたくもない。
 『ポケモン』の世界は、子供が大人になる途中の通過儀礼のように描きたかった。
 子供たちには、いつか、『ポケモン』世界の虚構と別れる時が来てほしかった。
 そして、大人になった時、自分の子供時代を懐かしく思い出せるようなアニメにしたかった。
 つまり、『ポケモン』アニメは、ある時期が来れば、『ポケモン』世界との別れのある……
 つまりエンドマークのつくものにしたかった。しかもそれは、子供が感じる人間の大人の世界への殺伐としたエンドマークでなく、
 明るく希望に満ちたエンドマークである事が必要だと思ったのである。

引用:首藤剛志 第155回 人間の言うなりにならないポケモン

物語の中ではピカチュウのいない世界として書かれていました。
でも、ピカチュウがいない世界だけを描きたくてサトシがピカチュウを思い出せないというような
物を描きたいのなら、サトシの今までの思い出を別のポケモンに置き換えるだけでいいんです。

それこそ、共に過ごしてきたポケモンがピカチュウではなく、マーシャドーだったと置き換えるだけでいいんです。
1話のリメイクを開始前にやったんだからそのリメイクを使ってピカチュウをマーシャドーに置き換える、それだけでいい。

サトシが「オレ、本当にこいつと旅してきたんだっけ?」と疑問をもつ。

「オレとあいつ、どこで出会ったんだっけ?」

「言うことを聞かなかったあいつ…どうして仲良くなったんだっけ…」

「オレはオニスズメからあいつを守ろうとして…でもその瞬間稲妻が走って…電気…?」みたいな

サトシとピカチュウしか知りえない記憶からピカチュウを思い出す、
順当かつ簡単な方法です、子供でもわかる。

でも、そうせずにあえてこの最終話構想を基にして物語を作ったのではないでしょうか。
そしてこれは今の子どもではなく、20年前の子どもに向けたメッセージなんだと思いました。
ポケモンのいない世界、それは現実の我々の世界です。

昔、ポケモンの後番組で「テレビチャンピオン」という番組がありました。
その番組に「ポケモン選手権」というのがありました。
ポケモンが好きな家族が競い合うというものです、当時幼稚園か小学生だったんですが今でも覚えています。
(ちなみにこのときのクイズで優勝者を決める最後のクイズに
 「カスミの他にコダックを持つトレーナーの名前を答えなさい」っていう問題があって
 それがツバキだったんです、だからフシギダネをもらったトレーナーを見たときにすぐわかりました)
その番組である男の子が「ぼくはポケモンが好き!日常で見る動物をポケモンにだと思ってる!」って言ってて
自分も当時そうだったので「わかるな~」って思いながら見てました。
カタツムリを指さして「マグカルゴ、GETだぜ!」って嬉しそうに言ってたのが印象的です。

そんなこともあり、日常にいる動物をポケモンに見立ててGETだぜ!なーんていう
少年少女時代を過ごしてきたものですから、
サトシが飛行機をホウオウと間違えたりするシーンは特に切なくなりました。

なんでかというと、大人になった私たちはポケモンが見えなくなってしまったからです。

ゲームでのポケモンはあります。
大人になった今でもポケモンはやっているし、負けたらクソ!って言いながらタッチペン投げてるし、
新作をやってはわくわくしてるし、殿堂入りするまでのストーリーも楽しんでます。
対戦やったり、交換したり、ポケモンで友達を増やしたり、ポケモンサークルに入ってポケモンを楽しんでいます。
ぶっちゃけそのへんの子どもよりポケモンやってる自信あります。

でも、大人になったわたしたちはもうカタツムリを見てもマグカルゴなんて言わないし
ヘドロはベトベターだからとか、もうそんなことは思えなくなってしまっているんです。
あくまでポケモンは架空の世界のもの、現実との線引きが確実にされているんです。
この世界の向こうには何があるのか?なんて思えなくなっているんです。
毎日の仕事、課題、ノルマ、将来のこと、結婚、自分の子どものこと、そんなことばかりに気を取られてしまう。

でも子どものサトシにはそんなことわからない。
ポケモンのいなくなった世界でも問いかけるわけです。

「あの先の向こうには何があるんだろう」

「山があって海があって、きっとその先もずっとそうだよ」

「でも、そんなの行ってみなくちゃわかんない」

何かが足りない気がする…
その先に行くために旅をしていて、いつもそばには何かがいた…
何か…一体何がいたんだろう?
ぼんやりと見える「それ」を追いかけて、ついにサトシは思い出す。ピカチュウの存在を。


映画では最終話構想を基にしたと言いましたが首藤さんの考えていたものとは真逆の結果になってしまいました。
首藤さんはポケモンは架空の世界のもの、サトシの空想上のものだったと締めるつもりだったと言っています。
しかし、映画ではポケモンのいない世界こそが空想であり、ピカチュウをはじめとした
ポケモンこそが世界だという感じの描かれ方をしていました。
でも、それはポケモンが大きくなりすぎた今だからこそできるシーンだと思うんです。
20年の時を経て、没になってしまったこの最終回構想、
大きくなりすぎたポケモンと20年という節目を迎え
もう一度首藤さんのこのプロットを振り返って
首藤さんの描きたかったポケモンと今のポケモンを織り交ぜて作り上げた
という一つのアンサーなんだと思います。


そして、ポケモンを忘れていたのはわたしたちも同じです。
大人になったわたしたちは、もうポケモンの存在を思い出すことができない。
子どものときには身近にいたかもしれないポケモン達の存在。
あえて首藤さんの最終回構想を基にあの灰色背景のシーンを入れたのは、
20年前の子どもたちに向けたものだったからではないのかと勝手に解釈しています。
ワクワクとドキドキの子供時代、もしかしたら今でも身近にいるかもしれないポケモンの存在。
今のわたしたちのそばには、ポケモンはいるのでしょうか?
あの先の向こうには何があるのか?
少年時代に過ごした夏のひと時のような気持ちは、大人になった今でも、まだ残っているでしょうか?


そういう意味では、「なんつーもんを見せてくれたんだ(褒め言葉)」というのが正直な感想です。



・ピカチュウについて

改変はされていたもののピカチュウの性格などはそのまま。

首藤さんのコラムではピカチュウがボールに入らないのは
「自己を見失わないため」だと言われていました。
脚本家がこう言ってるんだからこれが正解なんだよ!っていうのは思考停止であって自分の考え方ではないですからね…
(ただ、このコラムを読んでからもう長いことその設定が頭に刻まれてしまっているので
今さら自分がこのコラムを読む前はどう思っていたかとかは思い出せなくなってしまいました)

でも、最初はきっとピカチュウもそのつもりだったのでしょう。
サトシの所有物にはなりたくなかった。ピカチュウはピカチュウのままでいたかった。
自分はポケモンだけど、それ以前にピカチュウなのである。
ボールに入ってしまったらそれはピカチュウがピカチュウであるよりも、ピカチュウはポケモンであることの方が
強くなってしまうんじゃないか……

そもそもサトシとピカチュウはお互いの認識が違っていたのでしょう。
サトシはピカチュウのことを「オレのポケモン」としか見ていなかったし、
ピカチュウは自分のことを「サトシのポケモン」ではなく「ピカチュウはピカチュウ」だと思っていたのだと思います。
「サトシのことをサトシ」だと思っておらず「たくさんいるうちの人間の1人」「自分をポケモンとしか見てない人間」
そんな風にしか思っていなかったのでしょう。
だからサトシはピカチュウのことを引っ張ってでも連れ出すし、ピカチュウは意地でもいうことを聞こうとしなかった。
この認識の違いがお互いをすれ違わせていたんだと思います。

そしてオニスズメに襲われている自分を庇って身を挺して守る、
そんなサトシの姿を見て心打たれたからではなく、
ピカチュウもピカチュウで無我夢中でオニスズメに立ち向かう…

オニスズメを追い払ってお互いの行動を振り返ってみて、
共通意識のようなものが芽生える。
そこにはポケモンと人間ではなく「サトシ」と「ピカチュウ」にしかわからない
「サトシ」と「ピカチュウ」しか経験しなかったものがそこにあったんだと思います。
だから2人は「ポケモンと人間」としてではなく、「サトシ」と「ピカチュウ」としてわかりあえたのでしょう。


でも、ここでひとつ疑問が生まれるわけです。
それはサトシの「オレで…いいのか…?」というセリフ。
「オレでいいのか(オレのポケモンになってくれるのか)」
この意図が強く、それに対してピカチュウが頷いたように思えてしまうのです。
つまり「サトシ」と「ピカチュウ」ではなく、「サトシ」と「サトシのポケモン」の「ピカチュウ」として
関係を続けていく、それでもいいのか?という問いかけになってしまうような気がするのです。
自分が首藤信者であるのと、この映画自体が首藤さんの最終回構想を組み入れていて
首藤脚本を意識していることがわかっているからこそ、なおさら疑問を感じてしまうのです。
結局サトシはピカチュウのことを何だと思っているのでしょうか?
そしてピカチュウは本当にサトシ「の」ポケモンとしてのピカチュウになることに了承したのでしょうか。
結局はサトシはピカチュウのことを「ピカチュウ」として見ているわけではなく
「オレのポケモンの」ピカチュウとして見ているからこそのセリフのような気がしてならないのです。
自分が「え?」と思った部分のひとつです。
でも、サトシがピカチュウのことをそういう目で見ていなかったら
「最初のポケモンがゼニガメかフシギダネかヒトカゲだったらよかったんだけどな」
なんてセリフは出てこないと思いますので、脚本を書く上で止むを得なかったというなら仕方がないなと思いました。


最初は自己を見失いたくない、そんな思いでボールに入らなかったピカチュウ、
しかし、映画の中で時を共に過ごすことで2人の間には共通意識が、
さらに発展して友情が芽生え、ずっと一緒にいたい、
同じ時を、同じ景色を、同じ空気を感じたい、そんな思いへと変わっていく、
だからボールには入らない…そんな風に見えました。



しゃべるシーンは誰かが書いてるとは思うんですが、公開前にしょこたんの言った通り
まさに禁断の一線を越えたなあ…
と思いました。
しゃべったというよりサトシが勝手にしゃべったように錯覚したんでしょうけど…
別にしゃべるのはいいしピカチュウがくしゃくしゃのサトシの帽子を抱えて泣くのもいいです、
でも、「オレで…いいのか…」っていうセリフに頷いたのだけはうーむとなってしまいました。

それ以外はすごくよかったです。
一石小百合さんの描くピカチュウ、さすがですね、ハチャメチャかわいかったです。
パーツが少ないのでピカチュウは描く人によって個性が出やすいと思っています。
やっぱりアニポケのピカチュウが一番かわいい。



・サトシについて


10歳の少年の等身大の姿を描いていました。
というのも、XYのサトシは大人びていてちょっとやそっとのことでは動じないし
周りはみんなサトシサトシって持ち上げてるし
(後発だったショータやアランの方がトレーナーとしてやってることはバケモノです)
サンムーンのサトシは元気でまっすぐすぎて負の感情がないんじゃないかとか思ってしまうほどです。

オニスズメとの一件からピカチュウと旅をするサトシ達、
中でも一番印象深いのはクロスとのバトルじゃないでしょうか。

ヒトカゲを捨てたクロスに対し、成長した姿を見せてやろうとガオガエンに対しリザードを出すサトシ。
しかし、圧倒的な実力差が原因で負けてしまいます。
どうしても納得いかないサトシ

「あんな奴に負けるわけにはいかないんだ!」

めちゃくちゃ性格悪いのにモテる、
めちゃくちゃ性格悪いのに勉強はできるからテストの点数がいい
マイナーポケモンや自分の嫁ポケdisってきたイキリオタクに運負けではなくふつうに実力差でバトルで負ける
まあなんでもいいですが想像してみてみるとなるほど、めっちゃよくわかる。

しかし、実力差が歴然、負けてしまいます。
しかもただ負けるだけじゃない、

「負けたという屈辱をポケモンに味わわせた。お前はトレーナー失格だ」

という正論を突かれてしまうわけです。
特にリザードはクロス本人に捨てられているわけで、しかもボコボコにされて負けています。
サトシもよくわかっているでしょう。
クロスのこのセリフは正論であるがゆえに残酷だったのです。


「あんな奴が勝つなんておかしい!」

前にも言いましたがクロスは勝つべくして勝っているのでおかしくはないです。
でも、サトシはどうしても納得いかないわけです。
実力差で負けただけではなく、正論まで言われてまるで返す言葉がなかったからです。
自分でもよくわかっていたはずです。
でも、このぶつけようのない怒りをどこにぶつければいいのか…

そして、禁断の一言を口にしてしまう。



「ピカチュウだったら、勝てたんじゃないか…?」




「それはリザードに対して失礼だ!」

というソウジ。
その一言ではっとなるサトシ。

本来のサトシは

「負けた悔しさは 震えるほどだけど
 握り拳をほどいて ズボンで汗拭き握手しよう」

ってかんじなので(お互いにベストを尽くしたうえでのバトルですが)闇堕ちなんていわれてしまうのも仕方ありません。

もちろんサトシだってそんなことはわかっていたと思います。

でも、一瞬でも、リザードのことなんか忘れて自分の信念を貫くためにポケモンを道具にしようとしてしまったわけです。
サトシはポケモンバトルの勝ち負けにこだわったというよりも、
信念の違いが納得いかなかった、
信念で負けたような気がして、それが悔しかったんだと思うんです。

だからこそ、マコトの

「バトルで負けたら次は勝とうと思えばいいんだよ」

っていう発言に対して納得いかないような感じだったのではないでしょうか。


オタクならわかりやすい例でいきましょうか、
長年自分が好きだった作品があったとしましょう。
そしてその中に自分の推してるメジャーなカップリングがあったとします。
後から出てきた、「にわかだけど画力がめちゃくちゃ高い人」が原作じゃ全く接点ないようなカップリングを描いたら
自分の描いたメジャーなものの倍以上の評価がもらえてしまった、
自分もそこそ絵が描けるし作品を長年愛してきたのに画力が高いって理由だけでポッと出のにわかオタクに
評価で負けてしまった…納得できない、悔しいみたいな気持ちはこれに近いものがあるんじゃないですかねタブンネ。
よくわかんなかったらすみません、見なかったことにしてください。


話を戻しましょう。
ポケモンを思いやる心を善とし、それを貫こうとするあまり、本当にポケモンを思いやる心を忘れてしまったわけです。
それに気づいたサトシは自分が嫌になってついつい駆け出してしまうわけです。

そして付いてくるピカチュウ。

「お前もおかしいと思うだろ?」

「ピーカ…」

「お前もオレが悪いって思うのか!?」

「ピーカ…」


首を縦に振るピカチュウ。
心の底では信念を貫こうとするあまり間違ったことを言ってしまったことをわかっていたはずです。
でも、わかっていたからこそ、それを自分の一番の理解者だと思っていたピカチュウに頷かれ
なおさらショックだったのでしょう。嘘でもいいから慰めてほしかったんじゃないでしょうか。

そして、ついに言ってしまうわけです。

「最初のポケモンが、ゼニガメかフシギダネかヒトカゲだったらよかったんだけどな」


もちろん本心じゃない、つい思ってもみなかったことを口走ってしまうわけです。
ピカチュウをピカチュウ自身として、ではなくピカチュウを自分のポケモンのうちの1匹としてしか見ていないような発言です。
言った後でサトシも気づきます。

そして居ても立っても居られなくなり、その場を去るわけですが
今まで付いてきたピカチュウがついてこない、何度も後ろを振り返って付いてこないか期待してしまう。
どれだけ確認しても付いてこないことを察してとうとうやってしまったなと思うわけです。

でも、ここで頭を抱えてオレは間違っているなんて素直に認めてしまったら
強さのみを善とするクロスに屈したことになるし、
自分の信念が間違っている(ポケモンを友達だと思うこと)なんて認めてしまうことになりかねません。
だからこそ、それだけはしたくない。
自分は間違っていない、そう自分に言い聞かせるために取り出したのは虹色の羽


「オレはホウオウに選ばれたトレーナーなんだ。オレは悪くない。ピカチュウなんかいなくたって…!」


自分の信念を曲げないように言い聞かせるシーンは闇堕ちではないと思います。
信念にばかり気を取られて自分を見失ってしまった、それだけです。

虹色の羽が黒くなったのはピカチュウを傷つけたからとか、
勝ち負けにこだわったからとか、そういうのじゃなくて
本当の自分を忘れて周りのことを考えず、自分を見失ってしまったから黒くなってしまったのではないでしょうか。

悪しき心という曖昧な表現のため、明確な悪意を示すのか(物を盗るとか)よくわかんないんですが
サトシに虹色の羽を託した理由が
サトシの「ポケモンや人を思いやる気持ち」とかに反応したんだとしたら
自分を見失ってしまったから黒くなったんじゃないかな~とか考えました。





他に印象深いのはマーシャドーに操られたポケモンに追い詰められるシーン。


「お前らオレを誰だと思っているんだ!

オレはマサラタウンのサトシ!

オレは世界一のポケモンマスターになるんだ!

お前らなんかに負けない!こんなところで負けてたまるもんか!」




逃げ場がなく、助けも来なさそうにもない、
ボロボロでほとんど動かない身体で必死に這いつくばって大事な大事な相棒を抱き寄せる。

「お前、ボールに入るの嫌いなの、わかってる」

「でも、ボールに入れば、お前だけは助かるんだ」

「だからボールに入れ」

嫌がるピカチュウを無理やりボールにいれ、技を受ける直前、そのボールだけは傷つけまいと必死に抱きしめる。


見せ方が本当に最高でした。
ぎゅっと、必死にボールを抱きしめる、その姿が儚くてとてもよかったです。


ただ、消滅したサトシが尺の都合上余韻に浸る間もなくすぐ復活したのはちょっと残念です。
でも、技を受けるシーンは見せ場としてはとてもよかったです。

全体的に幼くて、あどけなくて、すぐ感情に左右されちゃって、
それでも等身大の子どもらしい意地とかそういうものはわかったし
ちょっと歪んだ偏った考え方とか幼いながらに持っている自分の考え方とかそういうのを全部ひっくるめて
等身大の10歳の少年の姿をよく描いていたと思います。
一石小百合さんの描くサトシが本当にかわいくて、見ていて何度も癒されました。
サトシは動くからこそかわいいんですね。



・ポケモンマスターについて

結局ポケモンマスターってなんなんでしょうか。
わたしの記憶が正しければ今まで明確にアニメでポケモンマスターについて触れられたことはありません。
ポケモンも今ではゲームからカードからポッ拳からポケモンGOやらたくさんのメディア展開しており
バトルで勝つことだけが本当にポケモンマスターなのかわからなくなっていきました。

でも、今回の映画でサトシははっきりと言います。

「ポケモンマスターってなにをするの?」

「ポケモンと友達になる」

「いろんなポケモンと友達になる、それがオレの夢、ポケモンマスター」

今まで触れてこなかったポケモンマスターの定義について
しっかりとブチ込んできたなあと思いました。



・BGMについて

マーシャドーをもらうときのジョーイさんのセリフのところから
「旅立ち(「冒険が始まる!」)」が流れててワックワクしましたもん、うわ~~~~!!!無印のBGMだ~~!!って。
「勝利のバッジ、ゲットだぜ!」が大好きなんでちょっと期待してたんですがさすがに出すところがなかったんですね…
でも、「涙、のち晴れ」や「出会いと別れと」など好きなBGMがあったのは嬉しかったです。
全体的に無印アニメポケットモンスターの懐かしいBGMが使われていたのが本当に嬉しかったです。
そこでそのBGMはズルいよ~~~~~~!!!!って何度も思いました。







・全体的な総評

全体的には無印アニメポケットモンスターを踏襲し、なおかつオリジナルストーリーを入れたという点では
やりたかったことはやりきった感じはしました。

ただ、ノルマが多すぎるが故に全体的に早足、密度が濃すぎるが故に余韻を感じる前に
次のシーンが来てしまう、そんなところがもったいないと思いました。

最後の光のシーンだけはちょっとわからないものがあったんですが
あれは考えるよりも感じるものなんですかね…?


でも、全体的にとても丁寧に作られており、スタッフも重みのある一同、
OPやEDも馴染みのあるものを使っていて力の入り具合が絶妙でとてもよかったです。
一部のファンしか知らないようなキャラクターや首藤さんの最終回構想、
とても濃い内容でよかったです。

アニポケファンで首藤さんのコラムを読んでいたり、小説版ポケットモンスターや
久保さんのポケモンストーリーなどの制作秘話などを
知っていれば知っている人ほど楽しめる作品だったと思います。
それほどまでに無印アニポケをリスペクトした作品です。
しかし、逆に言えば首藤さんのコラム、特に最終回の没プロットやその他の裏設定等を
知らなかった場合は「サトシとピカチュウの出会い」と銘打っている以上過去が改変された映画としてしか
認識されず、また、マーシャドーが上手く動けなかったことからも評価が落ちることが考えられます。
そのような理由から評価は割れると判断しました。

でも、だからこそ正直ここまで無印をリスペクトした映画だとは思いませんでした。
こんなサプライズがあるなんて思ってもいなかったので(期待はしてたんですよ)
映画を見た後、泣くとかもうそういう心の余裕はなくて
ただただ呆然としてしまって身体に力が入らない状態でした。



ポケモンはステレオタイプ化した無難なアニメとなり
世界で発展し、これからも続いていく巨大なシリーズになりました。
しかし、この20年という節目で故:首藤剛志の描きたかったポケモンの世界を踏襲し
もう一度この巨大化したシリーズを見直し首藤さんの描くポケモンの世界を描いた結果の
アンサーとなったのが劇場版ポケットモンスター「キミにきめた!」なのだと思います。
多少の尺不足は感じるものの、泣く泣くセリフを削った部分も多くあるでしょう。
アニポケの名シーンを取り入れ、かつ首藤さんの描くポケモン世界を踏襲し
上手くまとめた米村さんの手腕は計り知れません。
なによりも、わたしは米村さんのポケモンデビュー作「イワークでビバーク」が大好きで、
米村正二さんの描く温かいポケモンの世界が好きなんです。
だからこそ、いろんな人に見てほしいし
過去改変なんていう表面しか見てないような理由でこの作品を遠ざけてほしくはないのです。



宣伝にも力入ってますよね。
新聞の折り込みやら、pixivイラストコンテストやら…
積極的にtwitterでプロモーション流したり、ハッシュタグで感想を呟くことで
ネタバレしたくない人は早く見ようとするしそういう意味では上手いなと思います。
キンプリが流行したのも元々は口コミが口コミを呼んでそれが多大な宣伝効果となったからだと思います。
個人的には全人類に見てほしい、そんな作品なので宣伝がんばってくれると嬉しいです。






物心ついた幼稚園のときから、20年間このアニメを追い続けてきて本当によかったです。

素敵な作品をありがとうございました。





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劇場版 ポケットモンスター キミにきめた!
旅を続けるサトシとピカチュウは、途中でトレーナーの少女マコトと少年ソウジと出会い、伝説のポケモン・ホウオウの情報を耳にする。 いつの間にかサトシの影に潜んでいた、謎のポケモン・マーシャドーに導かれるようにして、サトシたちはホウオウが住むテンセイ山を目指す…。 人気アニメ劇場版20周年記念超大作。 ≪虹色の羽根に導かれ、ホウオウに会う者、虹の勇者とならん。≫
2017/07/18(火) 08:45:24 | 象のロケット